業界大手K社のゲームクリエーター“ふくいしゅうこ”さん

厳しい暑さの夏が終わり、爽やかな秋の風が吹いてきます。9月“長月”の由来は、「夜長月(よながつき)」とのこと。秋の夜長に・・昨今は、ゲーム!ぴったり。エンタテインメント業界大手に成長したK社のゲームクリエーター(コンピューターゲーム製作&デザイナー)の“ふくいしゅうこ”さん、ご登場です。残業当たり前の業界で、毎夜毎夜、嬉々として、企画を考えて絵を描いてコンピュータソフトウェア開発しての日々。大好きなことを職業にしたふくいしゅうこさん。子どもたちのダントツ人気職業でもあります!

1 わたしのこと 《いいかげんなぷろふぃーる》

名前:ふくいしゅうこ 
誕生:ヴィーナス年の10月うまれ。 
出身:市外局番06、ナンバープレートには神戸、甲子園には歩いても行けるよ!のちょっといいとこ取りの兵庫県あまがさき市うまれ。 
性格:O型が示すとおりの楽観的。関西で言う「いっちょかみ」。争事は超苦手。 
長所:好奇心旺盛、興味のあることにはすぐに行動する。なんでも人並みにはする。 
短所:何事も広く浅くで極めるのは苦手。飽きるのが早く何事もだいたい3年周期。優柔不断。趣味:ムダな勉強(自分の興味のあることについてはそれなりに追求。特に怪しげなスピリチュアルな事は興味津津、おかげで部屋はそれ系の本の山。重さで床が抜けないかが心配。)


本棚の一部。上段も下段も奥に3列並び。

健康オタク(特に“水”に関しては20年以上も追求中。)

蒸留水器「didimi」

IHMの愛感謝の水(波動水)

koro先生の
「銀河の泉」のE水 ㈱虔山作

最近のわたしのお気に入りグッズ

節電に欠かせない、冷風扇「新林の滝」私より綺麗に掃除してくれる「Roomba」

すきな言葉: 
   ○すべては想い通り
            (まさにその通りです。だからいつもいい事を想いましょう!) 
   ○すべては必然、必要、オール善 ※船井語録
     (偶然はないってことですよね。その通りだと思います。) 
   ○言霊(「笑顔」「愛」「感謝」「ありがとう」などの素敵な言葉を見聞きすると
          それだけで幸せな気分になります。) 
   ○いいかげん(身の丈にあった良い加減ということで、好きな言葉です。)

あこさんとの出会い

あれからもう16年くらい経ちますかね? 
一足先に「ひとリンク」デビューを飾ったスミちゃんこと永田朱実代さんと一緒に私も船井先生(船井総研)のハワイツアー(には参加していないのですが)の同窓会(神奈川県の某旅館)に私も参加しました。そこで、あこさんとの記念すべき運命的な出会いをしたのです。

あこさんとの記念すべき運命的な出会いのシーンで鮮明に覚えていることがひとつあります。 
スミちゃんと2人で旅館の客室に先に入って待っていた時のはなし。ハワイツアー同窓会の幹事さん?らしき「作務衣姿のオジサマ」が、あこさんを案内して部屋に入ってくるなり、満面の笑顔で「こちらはあこちゃん、同室だからよろしく!」と私たちに紹介されたのです。私は「よろしくお願いします」とあいさつをしながら、あこさんはハワイツアー参加組なんだなと思いましたが、話を聞けば、あこさんはハワイツアーに参加していないどころか、「作務衣姿のオジサマ」とは、その日が初対面だという話で「なんちゅう、フレンドリーなオジサン!!」という強烈なインパクトを残した、その「作務衣姿のオジサマ」に大笑いした事です。 
そのおかげで、あこさんとはすぐさま意気投合、そして今日に至ります。 
「作務衣姿のオジサマ」素敵な出会いのシーン演出ありがとう!

あこさんとは、九州と関東と離れてはいますが、毎年恒例になっている、通称『社員旅行』にはみごと皆勤賞の私たち。ここ数年は「島めぐり」の旅が多くなっていますが、「今年の『社員旅行』はどこに行きましょうかぁ?」が年始のあいさつの定番になっています。 
ちなみに、フレンドリーな「作務衣姿のオジサマ」も、ハワイツアー同窓会以後、懇意にしていただき、今では通称『社員旅行』の東京支部長にめでたく就任されております。

しごとのはなし

○振り返ると…入社から20数年が経っていました~

大学を卒業して新卒入社したのは、社員総勢120名程度の小さな会社でした。 
大学4年の時、ダイレクトメールで届いた就活女子学生向け《とらばーゆ》(注①)のページを何気なくめくっていたときに、“絵が好きで、音楽が好きで、コンピュータに興味のある女性求む!!!”というキャッチコピーが目に飛び込んで来ました。「おぉ!これぞまさしく私のことじゃないかぁ!」と勝手に運命的なものを感じた私は、事業内容欄に「電子応用機器の研究、開発、製造、販売」とあるのを見て「何のメーカー?」と若干の疑問は抱きつつも、コンピュータ関連の仕事を探していた私には、今日のように携帯電話もインターネットの存在も知らぬ時代で、小企業の詳細情報を調べる術もなく、入社試験本番までの時間に余裕も無く、その会社の予備知識は全く無いまま何も考えずに書類を送っていました。

幼少の頃から絵や漫画を描くのが大好きで、これだけは飽きるということが全く無く、一時は真剣にその道を目指していた事もありますが、高3の時にちょっとしたチャレンジをして、みごと玉砕!?この道で仕事をするのは私程度のレベルでは無謀な事だと確信し、大学も第1希望の芸大への進学もきっぱりとあきらめて文学部に行きました。大学に入っても趣味で漫画やイラストは描き続けていましたが、あくまで趣味の範囲でしたので、もちろん仕事にする考えはなく、就職希望先としては、大学4年間続けたアルバイトで当時の最先端のコンピュータ端末を操作する中で中身のソフトウェア開発に興味を持ち始めた私は、学部不問ということもあり、コンピュータ関連企業のOAソフトウェア開発部門のある会社を中心に探していました。

しかし、その会社の試験当日の事業説明で“電子応用機器玩具?”を見せられ、あれこれ説明を受けているうちに「ふ~ん、これが電子応用機器玩具かぁ…OAソフトウェア開発がやりたいけど、玩具のプログラムかぁ、私にできるかなぁ、でもメーカーの仕事は面白ろそうだなぁ…」とあまり深く考えず入社試験に臨みました。当時の私の就職戦線は氷河期などという生易しいものではなく、コンピュータ関連企業はどこも競争率は高く、他には手堅く公務員を目指すか…大学のコネで証券系に入るか…あきらめて家事手伝いするか…というような狭い選択肢しか無い状況でしたので、その会社の条件が「短大・専門学校卒以上」とあるだけだったのも、深く考えなかった理由でもありました。

小さな会社にしてはここでも受験者が多く、周りを見ても優秀そうな学生ばかりで、プログラマの採用枠はその時点で残り数名程度と説明されましたが、説明会の時から必ずこの会社に入社するという確信がありました。面接試験では提出した健康診断書の血圧が低くすぎるということで再提出を言い渡されましたが、ナントそれが合否の分かれ目となっていたようで、その日の帰りに血圧の再検診を受け、速達で診断書を提出すると、翌日には採用の電話をいただきました。 
血圧はともかく、必ずこの会社に入社するというあの根拠のなき確信はどこから来たものか今でも不思議です(笑)。

採用通知から半年後に入社したわけですが、その間もその会社の商品を知る人に話は聞いても、「へぇ?説明会でそんな話は全くなかったですよ。もう作ってないのじゃないですかぁ」などと言った具合で、相変わらず入社する会社が何のメーカーなのかを調べることもせず、会社の年末パーティに招待されて、内定者による入社前の決意表明みたいな宣誓式みたいなイベントがあっても、ホテルでの豪華なパーティという環境に惑わされて、そこでも仕事の内容を聞くどころではなく、ただその雰囲気に浸るだけで、今考えると、あまりにもお粗末な学生でした(笑)。

入社直前の3月には任意の業務体験アルバイトの招集がありました。任意ということで、大学の卒業式が終了後、何とか学生モードから社会人モードに気分を切り替えられた時期、入社まで残り1週間というタイミングで参加しましたが、そこで “電子応用機器”とは、いわゆるゲームセンターの業務用ゲーム機や、パソコンや家庭用ゲーム機のゲームソフトウェアのことだと初めて知ったのです。

プログラマ希望で採用されたにも関わらず、アルバイト期間中の1週間は、なぜかキャラクター作成を命じられ、「え?絵を描く仕事ができるの?」と嬉々として取り組んだ事を覚えています。 
そして私は、アルバイトの1週間を経て、無事に4月1日よりコンピュータゲームソフトウェアを制作する人になりました。 
結局、そのあともプログラムの研修は受けるも実際に組むことは無く、主にゲームの企画とキャラクター作成が業務となりました。絵を描く仕事は早々にあきらたはずの私でしたが、結果的には企画を考えて絵を描いてコンピュータソフトウェア開発するというラッキーにも両方の要望を叶えたわけです。

そんなこんなで時間は容赦なく流れ、あっという間に20数年の月日が経ちましたが、今もその会社の片隅に籍を置き、手を替え品を替えしながらも制作業務に従事しております。 
そしてこの20数年間に小さかった会社と小さかった業界は、あれよあれよという間に成長し、今ではエンタテインメント業界として市民権を獲得し、日本を代表する産業に成長しましたが、それと共に会社は上場を果たし、ワールドワイドに展開する企業に成長してしまいました(笑)。

今でこそ、市民権を獲得しているエンタテインメント業界ではありますが、私が入社した当時の世間の認識は“ゲームセンターは不良の溜り場”だったり、“悪の根源ファ○コン”というありがたくない異名を持つような業界でしたし、おまけにその当時は仕事そのものも、残業、休出は当たり前、締め切り前には徹夜で業務などなど…時間の概念は全く無視、おおよそ、世間の目にはまともな仕事に映るはずもなく、周囲からも「なんでそんな大変な仕事を続けるの?」と胡乱な目で見られることが多く、そのことは結構なトラウマとなっています(笑)。 
「お仕事はなんですか?」と聞かれてもなかなか素直に「コンピュータゲーム制作です。」とは言えず、いつも「コンピュータ関連の仕事です。」と答えていました。 
昨今では、産業界でもワークライフバランスが声高に謳われる時代になり、コンプライアンスや、内部統制などの話題も相まって、社内でも時間管理が注視されるようになってきたことで、制度も整備されて、プライベートの時間も人並みに持てるようになり、心身ともに余裕ができるようになりました。 
おかげさまで最近では、トラウマも少し薄れて「コンピュータゲーム関連の会社に勤めています。」とまでは言えるようになりました。私も成長したもんです(爆笑)。

注①:本来の《とらばーゆ》はリクルート社刊の有料女性用求人情報紙でした。 
現在はコチラ→http://toranet.yahoo.co.jp/t/r/T100010s.jsp


○振り返ると…いろいろと移り変わりました

現在私は神奈川県内に住み、東京23区内にある事業所に通勤していますが、入社当時は兵庫県に住み、大阪にあった事業所に通って制作業務をしていました。 
制作業務で「移転」や「転勤」というのはあまり無いと思いますが、この20数年間の私は、住まいは兵庫、愛知、神奈川と移り、事業所は大阪、神戸、名古屋、神奈川、東京と転々と変わり、制作するモノも時流の沿って次々に変化して行きました。

その制作するモノとしては、業務用ゲーム機、パソコン用ゲームソフト、家庭用ゲーム機用ゲームソフト、ホビーグッズ、携帯電話用コンテンツ、ホームページ、印刷物…等々といろいろありますが、どれもモノつくりとしての血が騒ぐものばかりで、場所は変われど、いつもすばらしいスタッフに恵まれて、ここまで続けて来ることができました。 
ただ困るのは、ゲーム制作をしていると話すと必ず「どのメーカーですか?どんなタイトルを作ったんですか?」と聞かれることなのですが、残念ながら(^^:)、これだけ転々としていることでもわかっていただけると思いますが、ワールドワイドに展開する誰もが知るようなタイトルには関わっていません。いつも「マイナータイトルばかり作ってます。」と答えています。多分言っても「何それ?」が関の山となることがわかっていますので、これ以上はどうか聞かないでください(笑)。お願いします。

入社当時は、《コンピュータ関連30歳定年説》なんというものがささやかれるような時代でしたから、私も短くても5年以上は働きたいなどと思っていましたが、まさか自分がこんなに長く会社にいて、制作業務を続けることができるなどとは思いませんでしたし、まさか自分が生まれ育った関西から飛び出して、関東に住むなんてことは夢にも思っていませんでした。 
時々、もしあのままずっと関西にいたら…と想像をしてみますが、関東に住んで10年が経過しようとしている今となっては、関西にずっと住む自分の姿がまったく想像できなくなっています。 

○振り返ると…何も変わっていません。

この20数年間、時代の変化に合わせて私自身の生活環境も仕事内容も想像以上に変化をし続けておりますが、実のところは、どこでも“住めば都”、どの仕事でも“無い”ところから、“有る”ものを作っていくという「モノづくり」ということにおいては、本質的には何も変わっておりません。好きなことを仕事にできる環境に感謝し満足しています。これからも続けられる限り、制作業務を続けて行きたいので、時代に取り残されないように日々精進はしていきたいと思っていますが、この先もずっと私のこの楽観的な性格も変わることはありませんので、これまで同様におもしろ楽しく生きていければそれでいいと思っています。

余談ですが…、関西人はどこに行っても関西弁のイントネーションですぐにバレてしまいますが、(エッヘン!)私はいろんなところを転々としたおかげで、カメレオンさながらの能力を身に着け、話し言葉からは関西弁はまったく成りを潜め、イントネーションを含めて完全なる標準語を駆使?しているので、周囲に私が生まれも育ちも生粋の関西人だと気付く人はほとんどいないのです(笑)。最近では出身地を聞かれて「兵庫県」と答えた時の相手の驚く顔を見るのが、密かな楽しみだったりしています(笑)。そういえば、あこさんも生粋の九州人のはずなのに、話し言葉からはほとんど悟られないですね。

わたしのとぴっくす

1995年1月17日、AM5:46 
私は神戸市内の自宅マンションの4階で阪神淡路大震災に遭遇しました。 
震源地から20キロのところに有り、生まれて初めて震度7の揺れを体験し、その後、会社の復旧作業のために車で市内を走りながら、道路が倒れ、ビルが壊れ、家屋がつぶれ、戦後の焼け野原を彷彿させるような想像を絶する光景を次々に目の当たりにしました。 
勤務していた神戸の自社ビルも壊れなかったものの、大きな被害を受け、懸命に復旧作業に務めましたが、震災後1年半以上も使用不可となり、私達は業務再開のために別の事業所に移転することになりました。

2011年3月11日、PM2:45 
私は東京23区内の会社の入っているビルの5階で東日本大震災に遭遇しました。 
震度5強ながら、ビルの窓からは周辺に林立するビルが左右に大きく揺れて今にもぶつかるのではないかと心配になるような光景が目に映りました。直後からはインターネットでリアルタイムに入って来る東北地方の状況を見るにつけ、映像ながらも現実とは思えない光景に絶句していました。揺れがおさまってしばらくして窓の外を見ると東京タワーの先端が曲がっているのが見えました。自然の猛威にあらためて驚愕しました。 
都市機能は完全に麻痺し、当日は帰宅難民となり、東京に勤務して初めて会社に泊まりました。 
私はいずれも都市型の震災に遭遇したわけですが、有りがたいことに神戸の時は、自宅はものは転倒しましたが、食器等が割れた程度の最小限の被害にとどまり、ライフラインもすぐに復旧して被災者へのボランティアや会社の復旧・復興活動に注力できましたし、神奈川に至っては震度5弱だったおかげで全くの被害はなく、帰宅後から通常の生活ができております。ただし、その後の東電の福島原発事故の影響で自宅は計画停電の区域にばっちり入っており、生まれて初めて駅以外は街灯も信号機もマンションの非常灯も何もかも消えて真っ暗な街中を月明かりで歩くという貴重な経験はしました。

人生の中でわずか20年足らずの間に大きな震災に2度も遭遇しながらも、実質受けた被害は最小限にとどまり、今は何事もなかったかのように生活することができていることに、大いに感謝する日々を過ごしております。そして、この2度目の体験は直撃では無かった分、いろいろと考えることが多くありました。きっとぼんやりしている私に「何かやるべきことがある」ことを示唆するために遭遇したのだと思っているのですが、情けないことにまだ「何をやるべきか」をみつけることはできておりません。それでもなぜか『今年はそれを実行に移す年だ』という、またもや根拠のない確信だけははっきりと持っていますので、「私がやるべきこと」が何かはまだわかりませんが、今年中にはみつかるのではないかと思います。

そしてそれは、これからの私のライフワークになるような気がしています。

あこさんへのメッセージ

あこさんは、キラキラと、イキイキと、いつも元気で活動的、すご~~~く勉強家で、努力家で、自分で決めたことはきちんとやり遂げる、いくつになってもかわいくて、おしゃれでセンスが良くて、旦那さまを「ダーリン」と呼んで愛し、めちゃ愛されていて、周りには素晴らしい自慢の友人、知人がわんさかいて、その人達とのつながりを大切にして、それこそ、いろんな人から愛されていて…とあげればきりがないですが、その全てを尊敬しています。 
そんなキラキラ、イキイキ輝く素敵なあこさんと出会いは、私の人生の宝物です。 
この人生の宝物はずっと大切にしていたいと思っています。 
あこさ~~~ん、これからもよろしくお願いしま~~す!

白石からしゅうちゃんへ

神奈川のN荘の“運命的な同室”という出会い。あれから、どのくらいご一緒したことでしょう。 
船井総研の研修やイベントは、もちろん。福島県の白河にも、一時期、通いつめましたね。 
夢のような福島のイギリス村<ブリティッシュヒルズ>
郡山の民画家・渡辺俊明氏のアトリエ<蓮笑庵>
洋と和の世界。それぞれに、しゅうちゃんたちとお泊りして、地元の食材のお料理をいただき、美しい満天の星を見上げたこと☆☆☆。天空の森!心の宝物です。

毎年、N荘で出会ったメンバーと“社員旅行”と称して、旅していますね。島巡りも連続3年。しゅうちゃんがご推薦、幹事になってご案内してくいれた瀬戸内海の「ベネッセアートサイト直島」 ~芸術・建築の島。中でも、地中海美術館のホテル&レストランは、最高でしたっ。ありがとうございます。


今年は、10月末に鹿児島県は霧島ですね。また、星空見上げて、語り合いましょ。お会いして、また、会いたいと思わせる魅力的なしゅうちゃん。さすが、エンタテインメント業界!最新情報をお聞きして、刺激をいっぱい受けています。

私は、しゅうちゃんはスマップのキムタクに似て、キュート!といつもお顔を惚れ惚れ見ております。(これすっごくホメ言葉です)では、来月楽しみにしています♪♪♪