一生青春! 中津ピア・サポート研究会代表、前中津北高校校長 矢口孝芳さん

3月のご登場は、現在「中津ピア・サポート研究会」発足代表、前中津北高校長【矢口孝芳先生】です。卓球の先生、歌う先生としてでも有名です。昨年3月の退官式の様子が地元「大分合同新聞」掲載されました。
♪コンサート形式で“ラスト授業” 矢口校長♪ 
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日本の復活は、教育現場から!!!そんな現在に、勇気を与えてくださる行動の矢口先生、情熱のメッセージです。

1 矢口孝芳 プロフィール

大分県宇佐市の小さな呉服屋の長男として生まれ、家業を継ぐ可能性もあったのですが高校時代の夢は弁護士。しかしながら法学部への受験失敗、一方で興味のあった哲学科へ入学し高校教師の道を歩むことに。昨年中津北高校で定年退職。退官記念書籍として「今だからこそ松下竜一(青春って何だろう)」を出版しました。

現在西日本工業大学と東九州短大に非常勤として勤務しながら中津市にて「中津ピア・サポート研究会」を立ち上げ、「ピア・サポート学の研究と実践」を実行中。モットーは「一生青春」です。

2 白石明子さんとの出会い

一昨年中津北高校の校長として中津北高校福岡県同窓会総会で出会いました。名刺交換した時、爽やかな笑顔と何かほとばしるオーラを感じたことが特に記憶に残っております。その2か月後母校訪問していただき、校長室でお話しさせていただきましたが、そこでビックリ・・我が長男(福岡市在住)との関係を聞き・・今では親子で「お友達」をさせていただいております。あらためて・・「長男がお世話になります。」「親子共々よろしくお願い申し上げます。」

 また白石さんのセラピスト名が「サンムーン」であることをホームページで知りましたが、「サン・ムーン」名にも個人的ファンなのであります。その紹介文は次の通りです・・【名前の明子の明が日(太陽)・月という字からなりたっているので、セラピスト名を「サン・ムーン」と名乗っています。明るさのなかには日と月が、陽と陰、表と裏等両方の価値が含まれております。太陽には太陽の月には月の良さと役割があり、その人が欠点と思っていることも視点を変えてみると反面良さであることもあります。あるいは、その欠点があるから頑張れたり、人間的だったりするわけです。私はその人全体の包括された人間性に焦点をあてたセッションを目指しています。】

 今私が実践している「ピア・サポート学」でもフレーミング辞書を使い、欠点と思えることを長所に置き換えたり、人として元気の出る取り組みを行っていますが、ヒューマン研究家の白石明子さんは自分の名前から簡潔に説明している。すごいですね。彼女の元気、爽やかな活力の源には科学としての人間探究の中から生み出された何かとも感じております。さすが尊敬すべきヒューマンコミュニケーション所長であり、ますますのご活躍を期待する次第であります。

3 ピア・サポートについて

 退職後、「ピア・サポート学」の研究と実践を行っていますが、少々「ピア・サポート学」について説明させていただければと思います。

 一昨年(2009年、中津北高校校長時代)の11月大分県高等学校生徒指導研究大会が県教育センターで開催されました。各学校から3名の生徒指導関係主任の出張が義務づけられた重要な研究大会であり、講演者として日本ピア・サポート学会会長森川澄夫先生が招かれました。私はこの時、講演者のプロフィールと好評・お礼を述べる係りでした。大会の1時間前に森川先生とお会いし「ピア・サポート学」についてお聞きしたのです。
「ピア・サポート」とは「仲間支援」であり、小・中・高生にアンケートをとれば、私的な相談は「8割が友達」と答え、また「9割以上が誰かが困っていれば手助けしたい」と答えている。それならば、お互いが相談に乗れるよう意識的にカウンセラー的スキルを子供たちに学ばせればいいのではないか。全員が無理でもクラスに数人そのスキルを身につければクラスも大きく良い方向へ向かうのでは、と「そのプログラムを作成し、子供たちにそのスキルを指導し、仲間を支援する学問」が「ピア・サポート学」とお聞きました。カナダなどでは当たり前のようにこの学問が定着していること。イギリスなどいじめ問題に苦慮した国が「ピアサポート学」で成果を上げていることなどを聴いているうちに、「この頃の学校でのいじめや荒れの対処法として、予防法としてきっと効果がある」と直感しました。

子供たちの本能として友がほしい、友を大切にしたい、誰かを助けたいと思っているのになぜ学校が荒れるのか、いじめがあるのか、ストレス社会が歪んだ形態をつくっているのか?等今の社会には「ピアサポート学」が要求されている実態にある・・退職後のボランティアはこれだ・・とその日のうちに決めていました。学校に戻り、関係本の購入と先進校岡山朝日高校への教員派遣を決め、積極的にその情報収集と研究をはじめました。中津北高校で取り組めるかどうかを模索しながら退職を迎えましたが、運のいいことに次の校長がセンター副所長の中尾先生であり、「ピアサポート学」に深い理解を示していただき、現校長のバックアップの中、現在中津北高校同窓会館で、月3回のペースで、中津ピアサポート研究会員と生徒による勉強会を主催させていただいているしだいです。

 昨年日本女子大でのピア・サポートトレーナー講習会(2日間)と山形大学での学会研究大会(3日間)に参加しましたがとてもやる気が起きるのですよ。これほど楽しくやる気にさせてくれる勉強会は中々ないと思うほどです。来週から一週間日本ピア・サポート学会のイギリス研修にも行ってきます。
ピア・サポート学では対話力や心理学の勉強が主になります。今後大分県でどのような組織でどのように普及させていくのかが課題と考えております。
もっと簡単に言えば「人への尊重間の醸成と元気になるコミュニケーション学をいかに普及させるか」であります。その点で白石さんのお仕事と同類ではないでしょうか。
白石さんアドバイスよろしくお願いします。

4 私の座右の銘は一生青春です。

昨年「今だからこそ松下竜一(青春って何だろう)」のタイトルで退官記念本を出版しましたがその中に青春・音楽・スポーツ等について少々述べさせていただきました。書籍からの抜粋ですがお読みいただければ幸いです。

 一生青春 

1975 年、私が26歳の時だったと思う、大分市の料亭である宴会があった。その宴席で、一人のおじいさんから、いきなり「おい若先生、お前と俺とどっちが若い」と言われたことを覚えている。お酌する立場の私に、さらに「若さは行動で決まる」と激励された。あっけにとられたが、眼光鋭いこのおじいさんの迫力は今でも覚えているのだから相当な方である。 
この方は、今はもう亡くなられたが、当時大分県音楽協会会長で元大分大学教授、辛島武雄先生であった。その後、私の学級通信や部活動通信のタイトルは全て「青春(○○号)」であった。以後「若さは行動で決まる」を口癖にした。 
青春とは「行動で決まる」と辛島先生より教えられたが、同じことをサムエル・ウルマンの「青春の詩」に感じている。マッカーサー元帥、松下幸之助、元村山総理等もこの詩を愛したと聞くが私もこの詩を知って以来、座右の銘としている。 
サムエルの詩に励まされながら日々「一生青春」を貫いている。人生は旅だと思う。高校を卒業して故郷を離れ、帰郷後再び教師として旅をしている。いろんな地域で、いろんな人に出会う。一期一会だ。まだまだ旅は続いている。身近な感動を大切にしながら、これからも「一生青春」を貫こうと思う。 
最後に、サムエルの詩を紹介するが、この詩はアメリカのリーダーズ・ダイジェストに少し手が加えられ掲載され世に広まった。読んで感じていただければ幸いである。サムエルのファンとしてはとても嬉しいことなのだ。 

青春  サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
バラ色の頬、紅い唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さを言う。
青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想や希望、夢を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地を這い精神は抜け殻となる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚きへの好奇心、
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の喜びがある。
身の回り全てのものに、美しさや希望・喜び・勇気などあまりある好奇心と感性があれば君は若い。
感性が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、嘆きの氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。
夢や理想を高く掲げ青空に大きな虹を描き希望の波を無限にとらえる限り、80歳であろうと人は青春する。
青春とは心の若さである。

赤ちゃんは世界を救う

国東高校勤務3 年目の年、1978 年の9月、「わたぼうしコンサート」に参加した。このコンサートは日本中を福祉風土にすることを目標として、障碍を持つ人の詩に曲を付け歌うコンサートであり、奈良に本部があり全国を周っていた。北九州でのコンサートに誘いがあり参加した。勿論予選があった。8月に作詞者と交わり、そこで詩をいただき、歌うボランティア(参加バンド)が曲をつけて予選を争った。我々のバンド(3名で私はピアノと再度ボーカル、ギター・メインボーカル、ベース)は「空飛ぶ車椅子」が入選した。グランプリは柳井達生さんが歌う「あかちゃん」にきまった。昼・夜2回の公演であり満席での演奏には興奮した。
このコンサートに参加して「あかちゃん」(グランプリ曲)に出会い、一目ぼれしてしまった。この歌を理屈抜きに好きになってしまったのだ。その後、別府青山高校、中津工業高校と現代社会「福祉社会」の授業で歌い続けた。もう何百回も歌っていると思う。けっして飽きない、私のストレスも吹っ飛ぶ歌なのだ。教え子達から「先生、赤ちゃん歌ってますか」が、かえってくる。歌う教師としての本命の歌だ。 
中津北高校でも出前授業を時々したが、この「あかちゃん」を歌う。生徒に必ず感想をもらうが、「親が、私が生まれた時、こんな感じで思ってくれていたのかな」とか「なんか嬉しくなりました」とかちょっとした感動を伝えてくれる。

 なぜ「あかちゃん」はいいのだろう。 
昨年NHK テレビで「ビル・ドレイトンの社会起業家が世界を変える話」が特集されていた。その中で、現在社会起業家として活躍しているカナダのメアリー・ゴードンさんは「赤ちゃんの持っている不思議な力」で社会を変えようとしている。赤ちゃんを教室に招き、子どもの心を育む教育をシステム化した。赤ちゃんを見ると脳の思いやりの心を司る部分が活発になるそうだ。今では月に一度、幼稚園から中学2年までを対象として、130 を超える学校で取り組んでいるそうだ。赤ちゃんが何を考えているか、どう感じるのか、心の内面を優しい心の部分で荒れた心を教育している。特にコミュニケーション能力をつける意味で相手の心を考える訓練にも活用している。ゴードンさんのこの試みは教育現場からは校内暴力やいじめが減ったと大きな反響が寄せられている。彼女は言っていた。「親が暴力を子どもにふるう。その子どもは大人になって同じように子どもに暴力をふるう。昔からこの悪循環が断ち切れない。」何か良い方法はと考えた時が「赤ちゃんの持つ力」だった。
「あかちゃんの歌」は、歌えば脳の思いやりの心を司る部分が活発になって、大変気分が良くなって、ストレスがなくなる。そのような作用がこの歌にはあるのではないかとゴードンさんの取り組みから判断した。 
私の出前授業で「あかちゃん」を聞かせて、感想で一番多いのは「障碍というハンディーを乗り越え、夫婦で一生懸命育てようとしている姿に感動した。」だったが、多分無意識の脳の優しさを司る部分への影響は私同様きっとあると思う。「赤ちゃんが世界を救う」けっして大げさな言葉でなく、科学と思うのである。

♪「あかちゃん」♪  作詞 堺隆  作曲 柳井達生 
(昭和53年度北九州わたぼうしコンサートグランプリ作品) 
1 赤ちゃん 赤ちゃん 生まれてくる小さな命 
すごい不況の中だけど 何も心配することないんだよ 
お父さんは 片手が不自由だけど 
君を抱えて 間違っても落としたりしないから 
安心して生まれておいで 僕のかわいい赤ん坊

2 赤ちゃん 赤ちゃん 生まれてくる小さな命
危険な食べ物ばかりだけど 何も心配することないんだよ 
お母さんは 足が不自由だけど 
君を抱っこして 躓つまずいて転んだりしないから 
安心して生まれておいで 私のかわいい赤ん坊 
3 赤ちゃん 赤ちゃん 生まれてくる小さな命 
今は世の中見えないけれど 何も心配することないんだよ 
二人とも 一生懸命頑張って 
君を立派な人間に育てるから 
健やかに大きくなってくれ 二人のかわいい赤ん坊

自立(自律)って何だろう 〜半年での県優勝を通して〜

 奇跡が起こった。あの卓球部が優勝した。たった半年で無名の中津工業高校が優勝した。平成元年の県新人戦での出来事であった。半年で本当に県ナンバーワンになれるのだろうか。

 平成元年別府青山高校から中津工業高校に転勤した。卓球部の顧問になったが練習場に行って愕然とした。体育館の2 階に3 台の卓球台が置かれ練習していた。不潔な練習場に感じた。16時から17時までが規定の練習時間であり、後は自主練習であった。生徒に聞けば出たくなければそれでも許されたようだ。それが悪いわけでもない。チャンピオンスポーツを目指さなければそれも普通だろう。今年度からは「普通の部活動をやろう」と考えていた。 
しかし顧問となった私の前で、生徒の目は輝いてみえた。きっと強くなると思っているのだ。別府青山高校は前年度インターハイ予選県大会で優勝し北海道のインターハイに県代表として出場しているのだ。その優勝監督が私だからだ。彼らは「勝ちたいので教えてください。」と言って来た。私の指導法に従うという。本音を言えばチャンピオンスポーツでなく、和気藹々とした楽しい時間の短い部活動を指導したかったのだが、彼らはそれを期待していないようである。私は2、3の練習計画を書き、これを参考にミーティングを開かせ、生徒の手による練習計画を作らせた。それと卓球ノートをつくり毎日の記録と反省を書き、次の日に職員室の私の机へ、キャプテンが集め、置くことを義務付けた。練習時間は16時〜19時、朝練習は希望者とした。練習会場の清掃と日々の挨拶、勉強との両立、など大雑把な目標を持たせ顧問として指導することになった。体育館の二階は十分な練習ができない。1・2年合わせて15名の部員、狭くて前任校のような練習ができない。市の体育館や隣の学校など練習ができそうな所を見つけての練習であった。

 部員のやる気はすごかった。Y 君は体育館で早朝練習を5時からやりたいと言ってきた。私には迷惑をかけたくない。体育館のカギがほしいという。Y 君は高校から卓球を始めた。初心者である。やっと1年経って打てるようになり今が一番面白い時なのかもしれない。 
Y 君は家庭が貧しく新聞配達をしていた。新聞配達を止めて卓球練習に打ち込みたいというのだ。お金も貯めているので良いラケットとラバーを教えてほしいとも言ってきた。朝の練習相手は学校の近くのI 君という。Y 君の目が輝き、真ん丸くなり、訴えている。朝練習の許可を与えた。 
Y 君のリーダーシップで、毎日の活気ある卓球部が現出した。夏休みは体育館は午前中はバスケットとバレー部が使用していた。午後からはがら空きになる。練習計画を作らせた。13時〜17 時までとなっている。私は彼らの勢いにひょっとしたらの希望を抱いていた。なぜなら今までの卓球部で一番の勢いである。彼らに提案した。「早朝6時〜9時」も加えたらと、「9時〜12時までは勉強を」と。すんなりニコニコ顔でみんな賛同した。毎日練習は7時間、勉強は3時間の計画になった。 
暑い夏との戦いが始まった。3日ごとに全員が強くなっていく。Y 君は3ヶ月前までは私にダブルスコアーで負けていた。お盆前後には互角近くまで接戦してきた。頼もしい限りである。練習試合も九州を股にかけて行った。夏の終わりの練習試合では大分県内で上位校と互角まで漕ぎ着けた。11月の新人戦県大会があった。ベスト8決定で大分商業と大接戦を演じ勝ち、ベスト8に入った。準々決勝、準決勝は順当に勝ち決勝に勝ち進んだ。相手は鶴崎工業、結果は4対3の勝利であった。もうひとついいことがあった。9月の実力テストでそれぞれのクラスでほとんどがトップクラスであった。夏休み9時から12時の勉強会も結果を出した。 
翌年のインターハイ予選では惜しくもベスト8で大分商業に雪辱され、県代表は大分商業であった。2週間後の九州大会予選では優勝を果たし、九州大会へ出場し、全九州ベスト8の結果であった。個人戦でY 君は県予選16人のリーグ戦で全勝し九州大会に臨み、九州大会ではインターハイ1年次優勝、2年次第2位の全国的スター宮崎工業の徳村選手とベスト8決定であたった。1セット目23対21、2セット目21対19と負けはしたが会場は大いに盛り上がった。無名のY 君が大接戦を演じているからである。九州ランク9位をもらい彼の部活動は終わった。

 Y 君の進路は卓球で大学からの誘いもあったが断り、彼は土木科で成績首位であり、指定校推薦でN 大学に進学、アルバイトしながら一銭も親からの仕送りを受けず卒業した。就職先がアルバイト先の建設業だったが、バブル崩壊時倒産、倒産した会社の社長の推薦で東京の建設会社に就職した。先日会ったが、今はその会社のナンバー2として経理も担当、頑張っていた。 
Y 君は自立(自律)した人として、見本に感じる。明るく人懐っこく、正直で頑張りのきくY 君、君はどこへ行っても、どんな環境でも大丈夫。責任転嫁の言葉は一切なかった。 
私の自立することのキーワードは「何事も責任転嫁せず自分で責任を取る」である。 
中津工業男子卓球部はこの後高体連団体16回優勝、インターハイも県代表として5回出場した。栄光の基礎を築いたのもこの学年である。
高校から卓球を始めたY 君はスーパースターである。

 部活動のお話でもうひとつ、今から9年ほど前の話であるが、春の甲子園「センバツ」に高野連推薦で出場が決まった沖縄県宜野座高校野球部の話を紹介する。毎日新聞に載った記事だがタイトルは「自立・自律の走攻守」であった。 
奥浜監督(40歳)は、最初のミーティングで必ず言う。「甲子園は目標でなく通過点。 
本当の目標は野球を通して人生を歩んで行く精神力をみつけることだ。二つの「じりつ」が奥浜監督のキーワードだ。自分の力で物事を行う「自立」と、行動を制御する「自律」。  たとえば、奥浜監督は「サインを出さなくても選手が自ら状況判断してプレーするのが理想」と言う。<中略>唯一部員に強制していることがある。一人ひとりに「野球ノート」を持たせることだ。ミーティングの内容、その時々に感じることを書き留めさせる。「後で読み返して自分の気持ちを確認することが、目標設定に役立つ。」
センバツ出場が決まった1月31日、部員は何を書いたのだろうか。    
《2001 年2月2日 毎日新聞朝刊》 
宜野座高校は、この時のセンバツではベスト4に入る活躍を見せてくれた。奥浜監督の指導法は私の指導法とほぼ類似している。しかしながら指導法は学校の個性、部員の個性に応じていろいろあっていいと思う。大切なことは、「やらされているのではなく自分の意思でやっている」ことだと思う。高校時代の目標がそこにある。

5 松下竜一文学と出会って

中津北高校図書館の松下竜一コーナーで短編小説「絵本」に出会い、さらに松下文学に魅せられた。「豆腐屋の四季」や社会派ノンフィクション作家で有名な松下竜一文学では意外な一面でした。
「絵本」を生徒に薦め、感動した生徒から逆に感動をもらったり、松下文学愛好仲間が職員にできて「今だからこそ松下竜一(青春って何だろう)」の書籍製作に至ったり。この本にはその短編「絵本」を収録させていただいた。もしよければ松下文学を一度お読みいただきたい。(ネットで検索してみてください。)
「絵本」の収録上その著作権をお借りするために松下竜一さんの奥さんとお会いしたりと、その関わり合いの中でまた新たなファイトをいただいた。昨年3月末、私の退官記念講演で天国の松下竜一氏に「余生はピア・サポートの研究と実践です」と手紙を読み上げ宣誓させていただいた。
松下竜一文学で一番感じるところは、人と自然をどこまでも愛しんでる点です。日本一の貧乏作家を自認しながらも、犬を連れての奥さんとの散歩が何よりも幸せだったそうです。

私も時々つれあいと由布院から久住方面を散策しますが、大分の自然に癒されるこの頃です。
「自然と今」を大切にいつまでも夢を失わず生きていきたいと思います。

右の写真【由布院ボンボヤージュ】は中津マシュマロの姉妹店です。時々寄らせていただきます。美味しいコーヒーとマスターの談義は格別です

最後になりますが、素敵な歌を紹介します。
私の好きな「あかちゃんの歌」の作曲者柳井達生さんは松下竜一さんの大ファンであり松下さんが亡くなられた時、歌をつくりそのCDを奥さんにプレゼントしました。奥さんは、さみしい時よくお聴きしているそうです。松下竜一さんの愛を素直に歌ったとても素敵な歌なのです。

こちらをクリックすると歌が聞けます        

しろつめ草をふまぬよう   
作詞・作曲 柳井達生

1 ちがやの穂波光る土手 犬に引かれる二つの影 
山国川を渡る風 今日もお前と遊ぶ 
豊前の山を朱に染める 夕日に幾度励まされた 
旅のあこがれ重ねては 今日もかもめと遊ぶ 
ささやかな今 愛おしく

2 強く大きなものたちに 踏まれた痛み言葉に寄せ 
物に溢れる浮世まで せめて思いよ届け
誰もが同じ命なら 弱き者ほど強くあれ
手に乗る程の幸せしか 人はその手に持てない 
ささやかな夢 愛おしく

3 しろつめ草をふまぬよう 今日も河原で見とれている
犬とかもめと夕焼けと 無邪気にはしゃぐ人に 
ささやかな愛 愛おしく

6 白石から矢口孝芳先生へ

矢口先生とは、2009年の中津北高の福岡同窓会に、現役校長としてご出席くださったご縁が始まりです。私にとって、とてもインパクトのある出会いです。なぜなら、現役の校長先生のスピーチが熱い!グ~ンと、魅了されました。ホンモノ先生だあ。

私たち同窓生に、「飛翔」の母校の新聞を掲げ、「私の座右の銘は『一生青春』です。信条は『子どもたちとともに』です」と、スタート。続き「感動しました。まず、立ち止まって挨拶する礼儀正しい生徒には感心しました」と、具体的に一つ一つのお話が、イメージできるように描け、ハートに届きます。さらに、夢を語ってくださいました。【北高生よ、大海を渡る風となれ】文武両道をモットーに、今こそこの荒波に立ち向かう悪戦苦闘能力に長けたたくましき人材育成を目指しています」嬉しくて、涙があふれました。

初めて、母校の校長先生をお訪ねしたいと思いました。早速、矢口校長先生の校長室にご訪問。私も大分県・長崎県下、高校生対象に、キャリア教育に、先生対象に、コーチング研修にお伺いしています。今時の高校生の実情と、教育の難しさは痛感しております。こんな前向きに、生徒をやらせ感ではなく、やる気を大切に向き合ってくれる先生に、感動しました。お会いしたいです!と。

そのエピソードブログに書かせていただいています。クリックしてください。

企業や病院の組織活性化のカギも「意志」ある仕事のあり方が大切です。研修の中で、個人の成長と、連携する力、チームワーク力で、目標・目的を目指す!この厳しい世の中だからこそ、明るく情熱を持って人を育てる!先生のようなリーダーが必要でしょう。

先生の夢は、弁護士だったのですね。その先生の夢を実現化されたご長男とこれまた、不思議なご縁で、親しくさせていただいています。とてもガッツがあってしなやかで魅力的なK太郎弁護士なのです!また、このひとリンクにご登場の交渉させてください。

矢口先生、来週からの「ピア・サポート学会イギリス研修」行ってらっしゃいませ。満ちた研修でありますように。また、お話きかせてください。楽しみにいたしております。

愛情あふれるメッセージありがとうございました。たくさんの感謝をこめて。