JMA社団法人日本能率協会 伊勢崎 健さん

2011年2月。今月は、山も川もMTBもOKの本格派“アウトドアエッセイスト”で“野外料理人”。JMAでは、“地域・産業活性化のコーディネーター”として、九州中を飛び回っていらっしゃる「伊勢崎健さん」です。キーワードは、好奇心。人生全体を、まさに全身全霊で、好奇心全開で走り抜けておられます!伊勢崎ワールド!エネルギーに満ちた活き活き世界観をご堪能ください。

1. 伊勢崎健のプロフィール

1962年5月、岩手県釜石市生まれ、自称「反骨心旺盛なエミシの末裔」、製鉄会社勤務の父の転勤により6歳で釜石を去り、愛知県の知多半島で高校卒業まで過ごす。大学進学とともに東京へ、大学時代はラグビー、登山とバイトに没頭して過ごす。
1990年4月、情報家電関連会社を経て、社団法人日本能率協会(JMA)へ入職。

JMAでは、入職してから16年に亘り、産業振興事業(コンベンション)に従事する。その後、人事・教育分野の仕事を経て、2009年4月より福岡のオフィスへ単身赴任中。

2. 白石明子さんとの出会い

 白石さんとは、JMAの公開セミナー講師としてご支援いただいていたご縁でお知り合いになり、今では大切な仕事のパートナーとして、福岡アウトドアの会の気の置けない友人として、公私共にお付き合いさせていただいています。

 思い起こせば2年前の春、福岡へ単身赴任して最初にお会いした方が白石さんでした。
白石さんには新入社員研修の講師をお願いして、研修の最終日に会場でお会いしました。
小柄ですが、素敵な笑顔と大きく透き通った声、はつらつとした生命感がオーラのように全身から発散されていて、私はいっぺんでその人柄に引き込まれたのを覚えています。

 その後は、コミュニケーション研修などで私の仕事のお手伝いをいただきながら、九州の魅力ある方々をご紹介いただき、福岡には生まれてこの方まったく縁のなかった私にとって、とても力強い助っ人として支えていただきました。

 白石さんと仕事で親しくなるのと同時に、趣味や好きな作家の話をする中で、白石さんとはいくつかリンクすることがわかりました。

趣味の登山、この「ひとリンク」でもご紹介されている「てんぷら隊」野外料理などのアウトドア、そして私の大好きな作家「椎名誠さん」の大ファンであること。
ちなみに、私の妻は「本の雑誌社」を切り盛りし、後にエッセイストとして独立した「群ようこ」のファンであることに結婚後気づいたので、ここでも私の家族と白石さんはリンクしたのです!
妻とは、小樽の「海猫屋」で特製カレーを食べたりして、椎名さんワールドを楽しんでいます。
全員が単身赴任、アウトドアが好き!という共通点で、「福岡アウトドアの会」に入れていただき、寒風吹きすさぶ中の海釣り&雨のバーベキュー、大分一周豊後水道グルメ旅、炎天下の渓流・鮎釣り&炎のバーベキュー、糸島かき小屋作戦など、数々の面白ミッションをこなしています。

「九州は最高でございます!」(中津の有名女将風に・・・)

3. 私とアウトドア

―ボーイスカウトとキャンプと焚き火―

そもそも、私が生まれたのが三陸・岩手県の自然に囲まれた海辺の街でしたので、物心のついた頃から海や山で普通に遊んでいました。
夏には、海辺であさりや○○貝(名前がわからないがとりあえず何でも焼いて)を食べたり、冬には、夕方頃に裏山にある神社に出かけ、雪に埋まった階段を叩き均して、その上からバケツで水をかけて、翌朝、ガチンガチンに凍ったところを父に作ってもらったソリや竹スキーで滑走したり。
自然児といえばかっこいいですが、今思えば食中毒や骨折などが簡単に起こりえる、かなりキケンな遊びに熱中していました。

こうして、刻まれた野生のDNAに火がついたのは、街を歩くカーキ色の制服がかっこいい、クラスの友人が次々と入団していく羨ましさという単純な理由だけで、小学校4年生の時に母に泣きついて入団したボーイスカウト(この年齢はカブスカウトという)の活動でした。

イギリスを発祥とするこの青少年少女育成活動は、擬似軍隊経験を通して、規律や倫理観、正義感と感性とともに、どんな時にも冷静に対処できる行動力とそれを担保する準備力を涵養する、というとても素晴らしい活動です。
しかし、私は入団時の熱狂があっという間に消え、何事にも忍耐と苦痛、ひもじさ(既に死語か?)がつきまとう活動に直ぐ嫌気が差しました。
それでも、中学校卒業までの6年間なんとか脱落しないで続けられたのが、キャンプとキャンプファイアー(聖なる盛大な焚き火)の存在でした。

ロープ結び、ナイフやナタの使い方、火の起こし方、緊急救護、観天望気、自然の木や石を使って造るカマドと野外料理などの訓練や長時間夜間ハイク、オリエンテーリング、登山などのイベントは子供心を満足させる楽しい遊びでしたが、忍耐・苦痛・ひもじさからは開放されませんでした。
本当に、ホントウに辛かった・・・

辛い一日が終わり、発育期の子供には少なく質素な夕食が済み、野営場の上が満天の星になる頃、火の精霊を迎える一連の儀式に沿って、高く積まれた焚き木に火が灯されると狂乱のキャンプファイアーが始まります!
燃え盛る炎を囲んで、最初は静謐に「スカウトの誓い」を斉唱し、徐々にトランス状態になって、皆で炎をぐるぐる回りながら叫ぶように歌いだす頃には、自然界の精霊と自身が一体となったような恍惚感がありました。

焚き火が終わり、各班のテントへ戻ってシュラフ(寝袋)に潜りこんで、深夜まで興奮の余韻に浸りながら仲間と語らう時間は、今思い出してもゾクゾクするほど楽しかった。

この思春期の経験がもとで、キャンプと焚き火は私のその後のアウトドア活動において、とても重要な位置を占め、欠かせないイベントになりました。

学んだこと
・忍耐して、「そなえよつねに」 
・「ロープ20m、ナイフ、乾いたマッチ1箱」があれば、知らない野外に放り出されても、3日間ぐらいは生きられる自信がついた。

―野外料理―

ある日、ボーイスカウトの「ひもじい」生活を逃れる唯一の手段を私は見つけました。
スカウトには、勲章みたいな制度があり、いくつかの技能章を獲得して、規定の活動をクリアすると、とってもかっこいいバッジがもらえます。
私は、名誉にはぜんぜん興味がなく、誰よりも早く、たくさんの食材を思うがまま独占できる「炊事班長」の資格だけを素早くひそかに取得しました。
キャンプの時は率先して調理しながら、慎重かつ大胆に「味見を何度も繰り返し」、空腹から逃れることができました。
おそらく、というかほとんどが自身の空腹のため、私の作った料理を満面の笑みで食べてくれるスカウトを見て、調理する喜びを知った(錯覚した)瞬間でした。

その後、キャンプや釣りなどの遠征には、中州で直ぐに屋台が出せるような、コールマンの調理器具やらダッチオーブンやらを大量に持ち込み、あやしい探検隊の林さんのように料理しまくっていました。
料理はこうして私の生涯を通じての趣味であり、特技になりました。

ここで、少しまじめになります。
屋外での料理はなおさらですが、傷みやすい食材を入念に処理して現場に持ち込み、素早く調理していくには、なんといっても事前の準備と段取りが大事です。
仕事が終わって自宅で料理するときは、帰宅時から冷蔵庫の中身を思い出し(在庫の確認)、今夜食べたいものをつくるために追加する食材を考え(適正購買)、最短時間で冷えたビールを飲むための料理手順をシミュレーションして(段取り)調理しなければなりません。
もちろん、家族に食べてもらって美味しいかどうかを聞き(評価)、マズイ!と詰られたら、次はどうすればいいか、味つけと食材の相性などを考えます(改善)。

ドラッカーを読まなくても、「男子厨房に入れば」マネジメントは自然と身につきますよ。

―登山と釣り―

ボーイスカウト時代の長距離ハイクの楽しさが高じて、高校から大学時代にかけて、当時クラブ活動としてやっていたラグビーの合間に、岩と雪を求めて日本アルプスの山々へ登るようになりました。
典型的なピークハンターでした。

特に、今でも鮮明に記憶に残っているのが、大学2年生の夏にひとつ年下の弟とテントと調理器具、食料を満載した20kgを超える重たいザックを背負って遠征した北アルプス大縦走です。
二人で立てた計画では、長野県の上高地から入山して、横尾山荘、槍沢を登りつめ、標高3180Mの槍ヶ岳登頂で視界をさえぎるものがない北アルプス稜線に出て、そこから西鎌尾根を北へ縦走し、双六岳、三俣蓮華岳を経由して、黒部川源流部へ急下降、急登攀して富山県の雲平、高天原で3日間テント生活をしながら放射登山(水晶岳、野口五郎岳など)してピークハントを続け、最後は薬師岳から有峰湖へ降りて富山へ抜けるという、20代前半の体力があればこそできる壮大なコースです。

綿密な計画と準備、トレーニングを終え、梅雨明けとともに上高地へ向かったのですが、普段なら梅雨明け後に安定する天気が、季節はずれの台風の影響で入山3日目から急に悪化し、猛烈な風と雨がヒュッテ大槍の野営場でテントを張っていた私たちを急襲したのです。
早朝、急な異変に気づき、山荘へ非難しようと準備を始めた瞬間、突風でテントのフレームがバキッと折れてしました。
潰れてしまったテントの中から荷物を持ち出し、カワガラスのようにずぶ濡れになった私たちはそのまま山荘へ非難し一泊。
翌朝も悪天候で、テレビの予報ではあと数日はこのままの悪天候が続くということで、テント生活続行には致命的なフレームの破損もあり、やむなくこの計画を断念し、引き返すことにしました。
そして、悲劇が起こります。
下山の途中、私は雨で滑る岩の上で岩を踏み外し、右足首を猛烈に捻挫してしまったのです。
その日は、雨と風と濃いガスの中をほとんど力の入らない右足を引きずるようにして、どうにか槍沢にある野営場までたどり着きました。

雨水で膨らんだ革の登山靴を脱ぐと、右足首は象の足のようにパンパンに腫れ上がっていました。

皮肉なことに、しばらく続くと思われた悪天候は、天気予報に反して翌日から回復し、右足の腫れが治まって、どうにか歩けるようになるまでの5日間、ずっと快晴が続きました。

私は、怪我の翌日から意気消沈し、ただ漫然と野営場の直ぐ横を流れる清らかな渓流を見ながら、怪我の回復を待って、持参した文庫本を読む毎日が始まりました。

ピークハントに命をかけていた私は、川辺から山を見ることがありませんでした。
渓流の中の岩に腰掛け、腫れた足首を冷たい流れにつけながら見上げた山々が、今までとは全然違う風景に見えたのです。

驚きでした。
川を知ると山がより魅力的に見えたのです。
フライフィッシングを始めるまでに、この日から10年近くを経ますが、この記憶が私を渓流に誘ったのかもしれません。

さて。
怪我もなく、体力を持て余している弟は、流石にこの状況に飽きて、2日目から朝の食事が済むと夕方まで槍ヶ岳の方へ探索に出かけていきました。

明日はいよいよ上高地まで降りられそうなほど怪我が回復した4日目、弟は私の足の状況で下山が可能かどうか、登山道を下見してくる、といって山を降りていきました。
出発の間際、「お兄ちゃん、何か食べたいものある?」と聞いてくるので、
「そうだなー、確か来た時に上高地のバス停で青りんご売っていたよなー」と答えると、
ニコリとして一気に降りていきました。

上高地までは、往復6時間。
高山ですが、強烈な陽光が容赦なく照りつける登山道では、20分も歩くと全身にどっと汗が噴き出てきます。
とても散歩気分で歩ける距離ではありません。

お昼過ぎに汗だくで戻ってきた彼は、ザックからビニール包みに入った青りんごをふたつ取り出し、
「りんご食べよう!」といいました。

「・・・・・・」

一口かじると、甘酸っぱい青りんごの果汁が咽喉の奥へ流れて、深い森のような香りが鼻腔を抜けました。
私の一生で、あれほど美味いりんごを食べることはもう二度とないでしょう。

翌日、弟にも助けられ、無事下山した私たちは、失敗した山行きを残念に思いながらも再起を誓い、翌年の夏、遂にこの計画を成就します。

弟は30才を前に不慮の事故で亡くなりました。
私は、盛夏の山々を見ると、いつも弟のあの時の笑顔と青りんごの味、清らかな渓流を鮮烈に思い出します。

学んだこと  「人は成功よりも、失敗から多くを学び、成長する」

―フライフィッシング(FF)とマウンテンバイク(MTB)―

MTBは30代半ばで妙なきっかけから始めた趣味です。
先に始めたFFで、渓流沿いの林道を登って川を攻めていくと、納竿しての帰りは、どうしても延々と林道を下っていかなければなりません。
釣りで疲れきった身体では、なんとも苦痛でした。

そんな時、颯爽と林道を下っていくMTBの軍団と遭遇したのです。

友人と二人で「これだ!!」と合点して、早速、高価なMTBを買いました。

しかし、私たちはMTBを購入して直ぐに後悔しました。
MTBで林道を登るのは、想像を超える体力が必要だったのです。
36段変速の最新鋭機があれば楽勝と甘く考えていたのです。
もう青年ときっぱり言えなくなってきた私たちの体力には限界がありました。

そこで、私たちは渓流釣りの禁猟期になる晩秋から春までの間、MTBに乗って山登りに出かけてトレーニングすることになりました。
すると、これが意外にというか、マジで楽しい。
もっとかっこよく、早く楽に乗るために、スポーツジムで身体を鍛えるようになり、さらにフレームやハンドル、サスペンションまでMTB軽量化のために、オリジナルパーツがほとんどないような状態まで交換してしまった。
こうして嵌っていったMTBは、遂にジムのトレーニングとマシンチューニングの成果を確かめるために、本格的なレース参戦へとエスカレートしていきました。

こうなると、私にとってMTBは、当初の目的からは完全に逸脱して、レースでいかにいいタイムを出せるかに関心が移っていったのでした。

学んだこと  「好奇心は成長の促進剤である」

4. 仕事と私

現在は「ひとづくり・組織づくり」の仕事をしていますが、実はJMAにおける約8割は 「産業振興」の仕事をしていました。
産業・技術展示会や関連会議の企画・運営を通じて、新しい産業の創出や産学官連携事業の推進支援活動に若き魂を燃やしていました。

このように書くと随分堅い仕事をしているように感じますが、今まで書いた私生活同様にかなり好奇心と自分のパッションが優先する仕事ぶりでしたね。

JMAで仕事を始めて3年間は「食品・飲料」の展示会担当、世界中の珍しい食べ物やワインなどの最新情報を飲食店やバイヤーに発信する仕事でした。
そもそも、食い意地が張っている男ですから、グルメ志向に一気に火が付き、自分の好奇心を満たすために仕事に打ち込む日々、今思えば当事は実に楽しく仕事をしていました。

その後、電機・メカトロニクス関連の展示会担当時は、MTBに最も打ち込んでいた時期で、MTBのメカニックをいじる好奇心で仕事をしていましたし、ホテル・レストランの厨房機器・調理器具などの展示会担当時は、料理野郎の道具収集心が仕事の大きな推進力になっていました。

このように、私の場合は仕事も遊びも、まずはめいっぱい好奇心を持って、自分が楽しんでやりきることが大事と考えています。
現実の仕事は、時に厳しい成果目標や立ちはだかる障害、複雑な人間関係があり、自分が追い込まれることもありますが、私は「仕事を本気で楽しむ」ことで難局をどうにかクリアしてきました。

自分の好奇心が仕事と次々リンクし、そして様々な人にリンクしていく・・・・
この過程を心から楽しみましょう!

カンジー曰く、「明日死ぬが如く生き、永遠に生きるが如く学べ」

5. 九州への想い

2年前に福岡に来た頃は、正直にいって、あまりこの地に興味がありませんでした。
アウトドアの趣向は、私を東北や北海道という「北の地」へ視線を向けていました。

でも、そんな先入観は、九州での最初の夏を迎える頃には完全になくなっていました。

2年間で、今までほとんど足を踏み入れていなかった九州各地へ旅をしました。
大陸とのつながり、明治維新を推し進めた歴史的役割。
各地に残る神秘的な風習や陶芸などの文化。
湯量豊かな温泉と綺麗な海、山、川、抜群の鮮度の食材。
そして、なんといっても人情ある素朴な人々。
その気になれば、車で少し移動しただけで、それらの全てに触れ合える。

こんな素晴らしい環境は、日本でも限れられた、貴重な財産です。
九州の皆さん、もっと自慢しましょう!

将来、私の好きな当地と北の地を行き来して、自然とふれあい、地域の活性化と連携を支援する役割を担いながら、山小屋で下手な小説を書いている、そんな自分に少しでも近づけるように、これからも好奇心全開で走ります!

白石から、伊勢崎さんへ

アウトドアでも本格派。山登り、渓流釣り、MTBと、妥協を知らないのめりこみタイプ。今まさに、“自然児伊勢崎ワールド”誕生・形成の経緯が明かされる!と、興味津々で、ひとリンクを一番に拝読の幸せ。亡き弟さんとの青りんごをほおばるシーンは泣けました。ジーンです。

真っ直ぐで実直な彼との共通点。なんと椎名誠ファンであること。意気投合。さらに、私が特に、嬉しいのは、彼が“必殺野外料理人”であったことでした。当研究所のホームパーティーで、料理長に、あるときはシェフに変身してくださいます。トントントンと包丁さばきは、プロ。もちろん食べたことのない美味しい料理が「どおだあ・・」と、華々しく登場。参加者から、「パーティーには、絶対伊勢崎さんを呼んでください」と、メロメロ。皆さんのなくてはならない存在となりました。ありがとうございます。

さて、研修のお仕事でもご一緒させていただいています。この度、新理論登場!!ドラッカー理論は無用???上記『伊勢崎流~野外厨房マネジメント理論』を著書にしましょう!私がリーダー研修でアウトプットしていきます。

愛妻家で有名です。ふふふ。一途に札幌に通って奥様をゲット。細くて清楚で・・・笑顔が素敵。そりゃ、伊勢崎さん「ほれてまうやろぉぉ!」(〃Д`*)です。過去・現在・未来、時空を超えて、好奇心全開で駆け抜ける伊勢崎さんの大ファンになりました。今後共よろしくお願いいたします。