「ようこそ九重連山へ」主宰の永松一郎さん

11月今月は、紅葉の美しい季節に相応しい【九重連山のカメラマン】Webサイト「ようこそ九重連山へ」主宰の永松一郎さんです。

私たちにとっては、九重連山の山行きの【一郎隊長】です。
美しい紅葉の写真を含め、四季折々を楽しんでください。
(白石からのコメントでした)

永松一郎 
現職:大分県教育庁生徒指導推進室室長補佐 
経歴:大分県公立学校教諭 
大分県教育庁指導主事 
中津市教育委員会学校指導係長 
大分県公立学校教頭 
を経て、平成22年4月より現職 
Webサイト「ようこそ九重連山へ」主宰

プロローグ

九重連山への山行を始めてから、すでに20年以上が経過しました。当初2年間程度は撮影は二の次で、「全ての山に全てのルートから」を目指し、春から秋にかけての3シーズンをひたすら歩きました。撮影が主体になったのは、その後になります。14年前、インターネットの黎明期にサイトを開設し、以来毎週の山行記録の掲載を続けています。

九重連山との出会い

はじめての九重連山との出会いは、中学生だった30数年前の中学校のキャンプでした。九州とはいえ標高が1000mを超えると盛夏でも寒さを感じることがあり、平地とはひと味違う自然を体験することができます。

1980年代後半のバブル期には九重連山周辺にも開発の波が押し寄せ、1994年にやなまみハイウエイが無料化される前後をピークに急激に観光地化が進み、久住高原や長者原・飯田高原周辺もずいぶんと様変わりしました。

毎週のようにバイクで出かけていた久住高原や飯田高原も、週末は観光客が急増し、長者原や瀬ノ本は大混雑するようになりました。私が久しく九重連山を眺めながら静かに昼寝を楽しんでいたお気に入りの場所にも観光客が入り込むようになり、徐々に私の居場所がなくなってきました。
「今度はバイクじゃ行けない所にも行こう!」と思いついたのがその頃で、それ以来カメラ持参で山歩きをしています。こんな、実にたわいもないことをきっかけに山行が始まったわけです。

九重連山の写真

待望の一眼レフOLYMPUS OM1を中学1年の時に手にして以来、様々なテーマをひたすら撮り続けてきました。将来はカメラマンになり、自分のスタジオを持つのが夢でしたが、夢は夢のままであえなく終わってしまうという、お決まりのパターンになってしまいました。

 九重連山を銀塩で10年あまり撮影したあと、2000年からはデジタルカメラを主体に撮影しています。近年のデジタルカメラの技術革新は著しく、銀塩中判カメラを凌駕するほどの高性能ぶりには舌を巻くほどです。
撮影を始めた当初から撮る事に関して気負いはありませんでした。自分の記録として撮ってきましたので、天候が悪ければ無理はしません。時には理由もなくシャッターを押す気がせず、1枚も撮らずに帰る事もあります。

 最近では九重連山を題材にしたホームページやブログを開設される方が急増しています。掲載された見事な朝焼けや夕焼け、厳冬期の霧氷に覆われた夕日に染まる大船山の景色はすばらしく、ひたすら圧巻ですらあります。
  これは誰でも気づくことですが、風景を撮影していると、日中の光景だけでは画像がどうしても単調になってしまいます。朝日や夕日、月光などの光源の変化や斜光線が作る微妙な陰影、風や水流などの演出が画像に変化を与え、見応えを感じさせてくれます。ですから、私もいつかはこのようなところでシャッターを押してみたいと思いつつも、山行の週末には、毎週のように前夜の深酒がたたり、多少重い頭を抱え、夜明け頃に自宅を発ち、山頂に着く頃にはすでに昼前。その頃になってやっと正気に戻るという情けない状態です。

これからの九重連山

季節の移ろいは時に気まぐれで、毎年同じ時期に同じ場所で同じ光景に出会えることはまずありません。ひたすら九重連山に通うことで二度と同じ表情を見せない、生きている九重連山を感じることができるのではないかと考えています。
いくら九重連山を撮り続けている気になっていても、そこで生活をしているわけでもなく、いくら通い詰めても、決してその姿を捉えることはできないのかもしれません。しかし、できればこれからも、ライフワークというほど大げさではなく、自然体で九重連山に接していきたいと願っています。

近年のアウトドアブームの影響で、年々九重連山へ入山する人も増え、当然多様な価値観や感性を持つ人が入山するわけで、散乱したゴミやティッシュ、たばこの吸い殻はいうに及ばず、岩肌にカラーペイントの落書きまでされて、山は泣いています。変わり続けていく九重連山を追い続け、様々なことを思いはしています。でも私はそこに住んでいるわけではありませんから、その変化を否定も肯定もできません。無責任な言い方のようですが、本当は簡単にその変化を否定したり肯定したりしてはいけないのではないかと思うのです。もしも私が九重連山の住人であれば、声を大にして言いたいことはたくさんあります。
ですから今私は、ただ私を迎えてくれる九重連山がいつまでもそこにあればそれでよい・・・・と考えることにしています。

白石から隊長へ

学時代のワンシーン。放課後、部活のバスケの練習の休憩時間。体育館から写真部の教室が見える。白衣を着た永松君たち写真少年がカメラを持って、現像していたのだろう。嬉々として活動している。毎日毎日のこと。

こうして、九重連山の写真を撮り続けている彼の原風景。そういえば、中3の【月食の観測撮影隊】を彼が主催。「望遠鏡、カメラ、カップラーメン」を持って、写真部ではない男子たちも、テントを張って参加。翌日、興奮して話す彼らを見て、私も男子だったら!と、思った瞬間。

今では、私たちの山行きの『隊長』として、カメラを片手に重い三脚を背中に担ぐ姿は存在感バツグン。彼がいるからこそ、私たちは、年3~4回の山行きが出来る。テントを張って、お鍋を囲んで満天の空の下で夢を語り合える。あの中学時代念願の<自然の中で、ガスバーナーのカップラーメンを食べること>が出来る。

皆を代表して、隊長に、感謝!感謝!感謝!